Quadrophenia

好きなものを好きって言えるといいね。てか、日本の流行って知らないんだよ。
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イン・アメリカ/三つの小さな願いごと … In America (2002)
イン・アメリカ/三つの小さな願いごとJohnny と Sarah、そして、彼らの二人の幼い娘 Christy と Ariel は殆ど一文無しに等しい状態で、混沌としたニューヨークの麻薬中毒者やドラッククイーンや移民達が住み着いている古いアパートへとたどり着く。そんなおぞましい環境を自分達の家にしようと奔走する。Johnny と Sarah がアメリカを挑戦と、危険と不可解な物で満ちていると感じるのに対して、 Christy と Ariel は、何でも起こりうる魔法の場所のように感じていた。

In Americaハロウィーンの夜、Christy と Ariel は、階下に住むミステリアスな隣人 Mateo のドアをノックすることからすべてが変わる。一家が退っ引きならぬ事態に追い込まれた時、Mateo は希望、信頼、そして魔法すら存在し続ける世界の思いがけない助け舟となるのである。

"マイ・レフトフット … My Left Foot (1989)"、"The Field (1991)"、"父の祈りを … In the Name of the Father (1993) "、"ボクサー … The Boxer (1997) " 等の作品を手がけたアイルランド人 Jim Sheridan は、彼自身の家族の記憶から着想を得て、彼の二人の娘 Naomi y Kirsten と共に書かれたその台本は、彼の息子 Frankie Sheridan に捧げられている。

マイ・レフトフットMy Left Foot (Special Edition)My Left Foot [ NON-USA FORMAT, PAL, Reg.2 Import - Great Britain ]父の祈りをThe Fieldボクサー

Jim Sheridan は、人として生きていく上で、避けるのとの出来ない悲劇を、二人の少女の輝く瞳を通して描くことによって、ユーモア、哀愁とロマン、秘密の環境、喪失、思い出、家族、そして、ゼロからもう一度やり直すことへの冒険等々に満ちた魅惑的な物語に仕上げている。

ここからネタバレ
フォーチュン・クッキー久々に Jamie Lee Curtis の映画をTVでやっていた。
フォーチュン・クッキー … Freaky Friday (2003) 中華料理屋のばあちゃんのいたずらで、母親と娘の精神が入れ替わるという彼女のお得意のコメディである。
ジェイミー・リー・カーティスといえば、ハロウィン … Halloween (1978) で、たしかフレディの姉の役だったかで、このシリーズにずっと出ていたはず。サイコ スペシャル・エディションHalloweenこの起用は、彼女の母親ジャネット・リーのあの恐怖映画 サイコ の影響が多いにあるんじゃないかと思う。
ジェイミー・リー・カーティス の凄いところは、そしてたぶん幸運でもあったのは、あれだけ散々ホラーに出演しながら、そこで終わらなかったことだろう。ヘタをすれば、母親のイメージを引きずったまま、おわってしまったかもしれないところを救ったのは、たぶん お熱いのがお好き にも見られる父親トニー・カーチスの明るさかもしれない。
A Fish Called Wandaトゥルーライズ<DTS EDITION>トゥルーライズ … True Lies (1994) であのシュワルツェネッガー とスパイとその妻というコメディをやっていたのも結構面白かったが、なんといっても忘れられないのは、ワンダとダイヤと優しい奴ら … A Fish Called Wanda (1988) だ。確かにTVでやっていたモンティ・パイソンを知っていないと笑えないギャグもあるのだけれど、粋なコメディとして仕上がっている。その中で男どもを振り回すジェイミー・リー・カーティスにいかれてしまった。
The Jamie Lee Curtis CD Audio Collectionこの作品のおかげで、すっかりホラー女優というイメージを忘れてしまい、彼女の本来の明るさと、顔つきがほっそりしているから体つきもほっそりしているのかと思うけれど、迫力のあるおっぱいにも虜になる。
そんな彼女、私生活では童話を書きベストセラーにもなっているのはご存知かな? 自分の作品を集めて朗読し CD に収め、グラミー賞にノミネートされたこともある。彼女の魅力はそんなパワフルなところかも知れない。
コーラス コレクターズ・エディション
コーラス コレクターズ・エディションGérard Jugnot 扮する主人公 Clément Mathieu は、失業中のしがない音楽教師である。1949年、 Mathieu は寄宿学校に住み込み教師として赴任する。親を亡くした子、問題児として送り込まれた子、一筋縄ではいかない子ども達を相手に、彼は忘れようとしていた音楽に再び取り組んでいく。
音楽家になれなかった Clément Mathieu の人生に於いての挫折は、彼に夢を諦めさせ、現実に流される人間にしてしまった。しかし、何かから取り残されたという彼と同じ境遇にいる子ども達の中で Mathieu は、本来の音楽を愛するということを取り戻していったのではないかと思う。
ずんぐりむっくりした禿げ頭の小男が愛を語っても、情熱的に教育を語っても、哀れな道化にしかなれない。ラストシーンまで、まるで人攫いかなにかのように、後ろを見ながら逃げ出すようにオドオドと去っていくではないか。それでも、見ているものは容易に彼の視点で子ども達を見て、共に泣き、笑うのである。
冴えない音楽教師 Clément Mathieu の人生は、ごく普通の我々の人生と同じであり、だからこそ彼の生き方に知らず知らずのうちに同調している自分に気づく。ラストに近づいたシーンで走り去るバスを見ながら、止まってくれと願ったのは私だけはないだろう。
映画は最初から、最後まで、静かで(子ども達のいたすらや、多少の言い争いはあるけれど)簡素な上品な作品に仕上がっている。

昨今のいかにもヒーロータイプがこれでもかと押し付けがましく大袈裟に銀幕のなかを駆け巡る作品が多い中で、この寂しく、悲しく、不恰好な初老の教師によりいっそう心を打たれた。一度の目を引く賞賛よりも、人はたとえ地味でも、ひたむきな生き方に共感する。それも、本人の気づかないところで。人生なんてそんなものじゃないか。
マイ・フレンド・メモリー体は大きいが他人とのコミュニケーションの方法を知らないマックス。頭はよいが難病に侵されて行動範囲が限られているケビン。そんなふたりが、それぞれのハンディキャップを二人で乗り越えていく物語 マイ・フレンド・メモリー … The Mighty (1998)
難病をかかえたケビンを暖かく見守る母親役はあのシャロン・ストーン。"あの" と言うと語弊があるかもしれないが、限られた時間を精一杯生きようとするケビンの終わる時ではなく、ずっと続いていくものを常に前向きに応援する頼もしい母親役を好演している。最後に一人残されるマックスも、「ああ、このお母さんとなら、これからもケビンを分かち合える」 と思いたくなる。
このシャロン・ストーンという女優の存在感は、目を引くものがあると思う。氷の微笑 … Basic Instinct (1992) という作品が代表作になってしまったため、彼女を見たがる観客は 『魔性の美』 のような彼女を求めてしまうらしく、そのイメージからなかなか抜け切れない。ちなみに、氷の微笑 … Basic Instinct (1992) は、ミシェル・ファイファー、ジュリア・ロバーツ、ジーナ・デイヴィスの面々が候補に上がっている中、無理矢理割り込んで主役の座を勝ち取ったという。今となっては、彼女以外は考えられないということは、やはり当たり役だったんだろう。
氷の微笑ハリウッド・ミューズアルバート・ブルックス主演・監督作品の ハリウッド・ミューズ … The Muse (1999) では、実にコミカルな役を演じているがストーリーそのものの最後の締め方がもうひとつで、興行的には失敗しているらしい。もったいない。
最近、彼女の特集をやっていて興味深いエピソードを語っていたので、紹介しておこう。
1958年生まれの彼女が子どもの頃、当時クラスの授業に満足せず、先へ先へと進もうとしているのを協調性がないと校長の部屋へ父親と共に呼ばれて注意を受けた。その時、父親は校長室でびくびくしていた彼女をひざに乗せ、「偉いね、これからもずっと頑張るんだよ」 と彼女に言った。そして、校長に向かって 「この子が、自分で目指そうとしているものの間に割り込んで、邪魔をすることは私が許さない」 と啖呵をきったそうだ。そんなエピソードを隠しきれない涙を目にいっぱい溜めて話している様子を見ていて思った。美人、セクシーと言われながらも、単にバービー人形で終わってしまわない、我侭という意味でなく、難しいと評判のこの女優の強さはきっとここから来ているんだろう。 マイ・フレンド・メモリー … The Mighty (1998) の、傷つきやすい、マックスやケビンを過保護にせず、守っている懐の大きさと悲しみをこらえる強さはこういうところからにじみ出ているのかもしれない。
ロスト・イン・トランスレーションTV で ロスト・イン・トランスレーション(2003) をやっていまして、片手間に見ていたせいもあって、いまいちピンと来ない映画で、そのまま流してしまったんですが…。あとになって、日本語に字幕が付いていないことに気づきました。
これって、もしかしたら日本語部分は理解しちゃいけなかったかな?
状況として、日本語のわからない外国人が二人大都会東京の真っ只中に居る。そうするとこの映画で存在する会話は、主人公二人の会話のみ。訳のわからない呪文のような日本語の世界に放り出されることにより強調される孤独。時折でてくる電話を通しての会話が日本語以上に相手に通じない。理解しあって会話をしているのは、主人公の二人のみ…。
監督がそんな状況を期待していたのなら、普通に日本語を理解してしまう自分には半分の効果もなかったということになる。
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