

映画監督ジェイ・ラッセルは、
マイ・ドッグ・スキップ の最後のページを読み終わった後、まず最初に涙で濡れた目を拭いてからでなければ、映画制作許可を得るためにウィリー・モリスに電話をすることができなかったという。
ラッセルはすでにドキュメンタリーでモリスと共に働いたことがあった。
モリスは、
Ghosts of Mississippi (1996) において時代考証のコンサルタントとしてハリウッド映画製作にかかわり、メジャー映画での彼の舞台裏の役割を大いに楽しんだ。二年後にラッセルによってハリウッドが再び声がかかったとき、モリスはおおいに喜んだのである。

ラッセルは、著者からの必要な許可を得るとすぐに、シナリオ作家/映画製作者 John Lee Hancock、シナリオ作家 Gail Gilchriest 、アカデミー賞受賞プロデューサー Mark Johnson の援助も確保した。そして、1998年、映画撮影が開始される。
スキップ役には半ダースものジャックラッセルテリアがタイトルロールで使われた。そして、その中には NBC ホームコメディ 『
Frasier』 のかの有名な "Eddie" もいた。
両親役には、Kevin Bacon (
アポロ13、
ア・フュー・グッドメン、
フットルース)、Diane Lane (
Lonesome Dove (1989) 、
Judge Dredd (1995) 、
The Outsiders (1983) )、 子ども時代のモリスは、後にテレビ番組
Malcolm in the Middle で主人公マルコムを演じる Frankie Muniz が選ばれた。モリスは、彼の父と母、彼自身、また彼の幼なじみを演じる俳優達に幾度もアドバイスをしている。







1999年7月末、ウィリー・モリスは妻ジョアンとともに事前の試写を見るためにニューヨークへ飛んだ。そして、彼は映画に映し出される世界に陶酔し、それを『完璧な古典』と賞したのだった。ある意味でそれは彼にとって衝撃的なデジャヴだった。
8月2日、ウィリー・モリスと妻ジョアンが帰宅して数日後、モリスは心臓発作を起こし、最終版を見ることなく数時間後に死亡する。
マイ・ドッグ・スキップ は 1999年に限定公開されながらも、Warner Bros は2000前半まで一般公開をしなかった。ところが、公開後のレビューは殆どが高い評価であり、映画製作者は毎週売り上げが伸びるという誠にうらやましい位置にいることに気づくのである。
The Today Show という有名なトークショーの司会者 Gene Shalit は番組で作品中の Frankie Muniz をヤングスターの見事なパフォーマンスと賞賛し、こう付け加えた。
「私はこの映画を観ました。この映画は子供たちのためだけではありません。このタイトルだけでこの映画をパスしないでください。これは、若者たちにも好かれる、大人のための成長を描いた映画です」
* * *
ジャーナリスト、ノンフィクション・ライター、小説家、エッセイスト、自叙伝作者、ニュース解説者という多彩な職歴を持つ William Weaks Morris は、1934年11月29日、ミシシッピ州に住む家族の6代目として、生まれた。生後6ヵ月の時、彼の両親は
Yazoo市へ移り住んだ。彼の家族は皆語り上手で、彼は世代から世代へ伝統を物語として語り継がれる環境において育ったのである。
ウィリー・モリスが家、家族、スポーツ、犬、政治、1960年代の重要性を考慮しているか、そして、情熱的に彼の出生地の国家の逆説的で複雑な過去(例えば療養所の不衛生で危険な状況、無学、死刑の社会的無効、人種差別とテキサス議員の政治的なペテン)を調査していたかどうかに関係なく、彼の散文は常に活気があり、新鮮で考えさせられるものだった。
彼の遠大なキャリアに関して尋ねられると、モリスはこう答えた。
「私は言葉以外の代替手段を全く持っていないんだよ」